1947-12-08 第1回国会 衆議院 文教委員会 第21号
次に日程第一三六乃至第一四〇の定時制高等學校設置の請願は、教育の機會均等による學校の特權的差別撤廢のため、勤勞青年の請願にこたえ、定時制高等學校設置は、まことに妥當なものと存じます。また文部當局のご意見とも合致し、明年度より實施のことでありますから、何とぞ本委員會において採擇の上、内閣に送付あらんことを望みます。
次に日程第一三六乃至第一四〇の定時制高等學校設置の請願は、教育の機會均等による學校の特權的差別撤廢のため、勤勞青年の請願にこたえ、定時制高等學校設置は、まことに妥當なものと存じます。また文部當局のご意見とも合致し、明年度より實施のことでありますから、何とぞ本委員會において採擇の上、内閣に送付あらんことを望みます。
こういうことから考えましたならばこの學校、養成施設の卒業というようなことは度外視して、試驗にさえ通ればいいじやないか、試驗を通らせるということだけにするということが、身體竝びにその生活の面から考えましても、特に二箇年間あるいは柔道整復術においては四年間というものを、學校とかそうした所に通つていなければならぬということは、實際むずかしいことだ、こういう意味において、きわめて機會均等の立場からみますならば
新しい憲法によりまして教育機會均等の原則が確立され、この原則に基きまして、すでに今年四月から新制中學の第一歩を踏み出し、さらに來春四月には新制高等學校が發足することになつておりますことは、いまさわ申し上げるまでもないことであります。 ここで私は日本の再建の問題を考えますときに、戰爭によつてほとんどすべてを失つた日本に、ただ一つ殘されておる偉大な力、尊い寳があると思うのであります。
又それが教育の機會均等、それから又各自が、小串校の先生が中學校の先生になるというように、上の方へ進んで行く人のために便宜を開くことになります。それから大學も……これは大學の制度のことで申上げたいと思いますが、どうも日本のやり方はいけないと思うんです。
新憲法において、國民の教養を高め、而して國民が教育の機會均等を得るということは當然のことでありますけれども、ものには程度がある。實行の方法も考えなくては政治にならない。この點について、文教の府において非常に御熱心に計畫をせられておる文部大臣は、私の説に對していかにお考えになつておるか。
また新憲法において教育の機會均等がうたわれておる點から言いましても、またわれわれ現場におる教員の立場から申しましても、ちようどただいま六・三の三の方にはいつておる兒童、生徒は、昭和十二、三年の戰爭最中に小學校に入學した兒童であつて、戰爭中勤勞奉仕、強制疎開その他で酷使され、ろくな勉學も與えられなかつた兒童であります。
それは教育の機會均等、教育制度の民主化の立場からも十分考慮されねばならないのは勿論であります。以上の如き立場から定時制高等學校を速かに實現し、且つそれに對して教職員俸給の國庫負擔その他の保護を與え、國家として勤勞大衆青年の教育に誠意を以て努力して頂きたいことが、關係者一同熱望して止まないところであります。請願の趣旨はここにあるように考えるのであります。
ついては教育の機會均等と、教育施設の地方分散のために、山陰におきまする中心都市である松江市に、從來ありまする各專門學校を總合いたしてまして、これを母體として官立大學を設置されたいというのが本請願の要旨であります。何とぞ御審議の上、よろしくお願いいたしたいと存じます。 これについて政府の御意見を承ります。
○日高政府委員 教育の機會均等と、地方分權とは、今囘の學制改革の根本主意でありまして、現在のところ山陰地方に立派な大學がないということは、從來の制度上の一つの缺陷かと考えております。先ほども申し上げましたように、大學設置委員會に諮りましてできるだけ御要望に副いたいと思つております。
もちろん、この印刷を地方に分散することは當然でありますけれども、やはりその整備をするために、審議委員會をつくつて、これによつて十分檢討の後にするというただいまの御説明でありましたが、われわれといたしましては、ほんとうに機會均等という意味から申しましたならば、地方にこれを分散するときには、やはり自由競爭によつて入札でもさせて、最も價格の安くて優秀なものをとるというふうにしたいと思う。
○高津委員長代理 さらにお尋ねしますが、實は教科書の出版を、今まで通りの會社にやらせておくということが一箇年續くということになれば、現在その會社はすでに地方分散ということを豫見して、先手を打つて、たとえば一番大きい會社である大日本印刷などは、京都だとか、九州だとか、そういう所へ自分の子會社をずつとつくるように手をまわしているのですから、今度自由競爭、機會均等だというようになつても、そういう子會社を動員
○稻田政府委員 この國定教科書の印刷の將來の問題につきましては、地方分權の面も、もちろん考えなければなりませんし、一面におきまして、また機會均等による自由競爭というような面も考えなければなるまいと思います。
第三には教育の機會均等ということでありまして、これはいろいろな面に行わるべきものでありますが、大體第一には身分に基く學校の制度というものは廢止されなければならぬ。たとえば學習院等特殊の身分の者の學校は存續することを許されない。また女子については、男女平等に教育を受ける機會が與えられなければならない。
、九倍であるところの千百七十九圓、甲地區は本俸給料の一、六倍で七百八十六圓、乙地區は給料の〇、三倍で三百九十三圓、丙地區は給料の〇、二倍で二百六十一圓というような關係になつておるのでありまして、これが危機突破の資金であるという性質を含まないとするならば、私どもはこの地域差というものはあまりにも差が大きくて、教育が國民に機會の均等を與えなければならぬと同樣に、これに從事する教育者にもまた私は生活の機會均等
その理由といたしまして、今や新學制が實施せられまして、教育の機會均等は必然的に學校の地方分散を招來いたしまして、國民文化の高揚と學問の權威の尊重となりまして大いに慶賀にたえないところであります。思いまするに、眞の文化國家の建設は、高度の科學技術の蘊奧を考究する最高學府の力にとつて、最もよく合理的に推進せられると思う次第であります。
併しできない地區があるからこれに國庫補助をして行くと仰しやるならば、それもまあ一つの案であると思うのでありますが、もともとこれは私の意見でありますが、國庫補助というものは、教育の行き亙らない遠隔、或いは經済的力のない部面に對して、負擔力の多い地方から集めました税金を以て、教育の機會均等をするために國庫がするものと私は理解するのであります。
専門學校に切りかえるとか、あるいは法令の改正をするとか何とかいたしまして、速やかに決定をして、かような學生に対しまして失望させないように、希望と光明をもたすように、教育の機會均等の線に沿つてもらいたい。新學制の精神を今より活かすということに、特別の御考慮を願いたいと存ずるのであります。
すでに教育の機會均等ということは、國の根本方針になつているので、これをただ形式的に機會均等を與えても、實際は不遇にある人々でありますから、ほんとうの機會均等にならない。どうしても一般の児童よりも優遇した、實質的な機會均等を與えなければならないと思います。
更にその精神の一番大きな問題は、教育の機會均等を與えるという點である。それを確立するためには六・三の全部の問題、教員の俸給のようなものも國庫負擔にして行くところの要求が含まれておるものだとこれは解釋できるものであるというような意向にいつたようであります。
○鈴木憲一君 それは勿論新らしい憲法で教育の機會均等を大いに與えられたでしよう。與えられたけれども、今までにおいて、今後も心配されるものは、物のある人が教育を受けられるということはこれはもういつの時代にもできるのですが、一般勤勞大衆が教育を受け得る機會均等の原理をそのまま實行して行こうとするには、少くとも義務制というものを強くやつて行かなければいけない。
併し私共としては成るべく地方自治を發達させたいと思つておりますが、殊に教育の責任も半額ぐらいは自分達の責任であると、今日戰爭の結果を均等化することは別にしましても、若し坂程のお話から申しますと、私共あらゆる國民に教育の機會均等を與えたいということは、決して人後に落ちないのでありますが、そうすると義務教育というものは皆國庫負擔になると、大學までも國立になつてくると非常に結構でありますけれども、それでは
これをなくすることによつて教育の機會均等が叫ばれる。そういう意味において大學に行けるまでの全部の學費は國家において賄う。ここに廣く人材を日本全土から求めて、高度なる文化國家を建設される。そういう立場から考えれば、總て教育費は全部國家で賄う。ここに高度なる文化國家の建設の基盤が築き上げられる。こういうことを申し上げたいのです。
あとの八〇%というものは高等小學校、青年學校若しくは六年だけで止めてしまうというような途を選んだのでありますが、そういうような大きなパーセンテージを占めるところのいわゆる大衆の子弟が、經濟的理由によつて教育の機會均等を與えられなかつたというところに、やはり今までの日本の教育の在り方というものの姿を見ると思うのであります。
○深川タマヱ君 家族單位の就業の機會均等ということで、意味が分つたか分らんか存じませんが、只今の日本は、少ない食糧やら繊維製品の配給の方は、できるだけ國民に平等に取扱うというので同じように公平に配給してくれておりますが、その食糧を買うお金を得る職業に就職する場合において、極めてこれは配給が不公平になつておりまして、隣りの家は五人家族であるのに、三人は就職しておる、待つて相當裕福な生活ができておるけれども